2014年02月28日
大島紬の魅力を伝えたい
平成25年12月8日(日)
平成25年度伝統文化親子体験教室事業 「芭蕉の糸とコースターつくり」
が開催されましたが、
その会場としてお借りした施設が同組合施設でした。
今回は、瀬戸内町大島紬協同組合に所属し、
また「紬美人」として大島紬のPR活動をされている程 頌子さんによる記事です。
*****
昭和57年に設立された瀬戸内町大島紬協同組合は、2014年現在で31年を迎えました。

設立当初は、紬上昇期であり町のあちらこちらで筬音(おさおと)が響き、
春日公園の川沿いでは晴れ渡る日差しの中、
綺麗にピンと張られた紬の糸に「カシキャ」という海藻で糊付する光景があったそうです。

この「カシキャ」という海草も、今ではなかなか採れなくなっているそうです。
本組合にも、
織工場だけではなく染や締機・糊張場もあり、
大島紬最盛期には、大勢の職人達がいて、活気に満ちあふれていました。
しかし、現在は職人も少なくなり、生産反数も激減。
瀬戸内町大島紬共同組合の現在の活動状況は、
大島紬の最終工程である、織りの技術者養成所と紬のハギレや糸を使った小物製作のみとなり、
織工の数は、2014年2月現在で、指導員を含めた7名と海の駅2階に1名が在籍している状況です。
そのほかに、自宅で機を立てている現役の織工さんが数名いらっしゃいますが、
瀬戸内町では、親方や締め等の職人はいなくなり、
本組合は奄美市や龍郷町からの原料をいただいて製織の技術を学んでいます。

時代の流れと不況で職人達が離れ、ほこりまみれの機械や道具。
当時の職人さん達が書き込んだメモだけが残された工場に入ると、
誰もいない静かな場所ですが当時の想いが感じられ、何とも言えない気持ちになります。
しかし、その場所を大切に思い、今でも天気の良い暖かい日には、
物づくりを楽しみに訪れる元気な77歳の方がいます。

その方は、元々親方をされていた徳山吉治さんで、大島紬と共に生きてこられました。
全ての工程を一人で熟し、老眼鏡を使い分けながら細かい作業を楽しみ過ごされています。
紬の事を語り作業しているその表情は、今も変わらない職人パワーに溢れています。

「またこの場所を蘇らせたい・・・
いやいやもう年だから若い人達がせんば」
とひかえめな中にも紬への情熱があります。
私は、こうしたたくさんの想いが溢れるこの場所を、
大島紬全盛期とまではいかなくても、時代の変化を受け止め、
すばらしい伝統工芸だからこそ受け継がれてきた誇れる技術、職人さん達の想いを大切にして残していきたいです。
**
さて、ここから私の紹介をさせていただきます。
私は、生まれも育ちも瀬戸内町で、瀬戸内町大島紬協同組合の事務と自宅での機織りをしています。

現在、織工3年目になる私は、とんとん筬音を奏で機の音が聞こえる毎日を過ごしています。
紬を始めたきっかけは、元々細かい作業や物作りが好きだったのと、後々、子どもの帰りを家で待てる仕事がしたいと思ったことでした。
しかし、織だけでは生活できないのが現状です。
それでも、仕事や家事育児の合間で少しずつでも織りたいと思わせる紬の魅力に私は夢中です。
島の自然に囲まれながらおばあちゃんになっても織り続けていきたいと思っています。
そんな私が、初めて紬に触れたのは、成人式を迎える目前の夏。
その頃、島を離れ大阪で学生生活を送っていた私は、夏休みで帰省していました。
母に連れられ、成人式で着る紬を見に行った事を思い出します。
一人娘の私の為に、両親が紬貯金をしていてくれた事を知り、成人を迎える晴れやかな気持ちと親のありがたさで胸いっぱいでした。
様々な紬を手に取り選び抜いた紬は、私の宝物の一つとなっています。
その大切な紬は、私の振袖となり、その余りの布はまた、私の娘の七五三の着物となりました。
そして今も、親子お揃いでイベントや初詣に出掛け活躍しています。

現在の紬のデザインは、柄にしても色にしても様々なものがありますが、
私は大島紬のシックで粋な柄が大好きです。

そして、年齢を問わずに長く着ることができることも紬の魅力の一つだと感じています。
では、実際に織工を始めてから感じた大島紬の魅力を伝えたいと思います。
私は、織り始める前、機織りは、カタカタ足を踏みかえてトントン糸を織り込んでいくだけだと思っていました。

ところが、織るためには、経(た)てに張られた糸を、一本一本順番に並べ、

ホヤと呼ばれる輪と輪の間を通し、筬歯の狭い隙間を確認しながら、
千本以上もある糸をセットしていくところからの始まりでした。
目がゆがむような果てしない作業と一本でも間違えてはいけない緊張の連続です。
たくさんの作業があったことを目の当たりにした私は、衝撃を受けました。
自分の持っている紬もこのようにして出来上がった事を知り、
もっと大切にしないといけないと改めて感じました。
織りだけでも沢山の細かい作業の連続ですが、
紬が出来上がるまでには何十種類もの工程があり、
その工程ひとつとってみても、根気のいる果てしない作業が繰り返されています。
ひとつの作業を伝えるだけでも大変ですが、
その全ての工程を1300年にも渡り変化を遂げながらも受け継がれている紬の歴史は感動の一言です。
私は、そんな大島紬の歴史に少しでも関わっているのかな~とワクワクしながら織りを楽しんでいます。

職人さん達の沢山の想いが繋がり仕上げられた大島紬は、また身に着ける人達の素敵な思い出を彩り、
良いものであるからこそ、親から子、子から孫へと受け継がれ沢山の人たちの想いの詰まった大切なものであることに間違いありません。
奄美には、守り継いでいくべき素敵な文化と豊かな自然があります。
その宝の一つである大島紬を私は、誇りに思います。
これから、大島紬を通じて沢山の人たちにその魅力を伝え繋げていきたいと思っています。
2014.2.18 瀬戸内町 瀬戸内町大島紬協同組合
調査員 程 頌子
2014年02月20日
五右衛門風呂 薪拾い
久しぶりに天気の良い元日を迎えました。
今年は初日の出を見に行かれた方も多かったと思います。
私は加計呂麻島の安脚場の方で初日の出を見ましたよ。
昨年、当ブログで紹介した俵集落の五右衛門風呂。 → 「五右衛門風呂取り替え作業」
元日に私は五右衛門風呂の燃料となる薪を拾いに行きました。
当日は天候にも恵まれ、いよいよ、薪拾い開始。
猫車を始動させ、俵集落の裏の山へ・・・
そこは、私たちにとっては風呂木の宝庫といっても過言ではない場所です。
種類もイロイロ。
大きさもイロイロ。
枯れ木(特にシイの木)は燃えやすく、木が太ければ太いほど燃える時間も長くなります。
山の中にはこんなものも。
どうやら、イノシシの頭蓋骨のようです。
最近のものでしょうか?
まだ辺りに骨や毛皮らしきものが・・・
短時間でも猫車いっぱいの薪を収穫しました。
山と家を3回往復して任務終了です。
五右衛門風呂を沸かすのは日暮れ。
日が暮れた頃、五右衛門風呂の焚き付けを開始しました!
さきほど取った木が勢いよくバチバチと激しい音をたてながら燃えています。
風呂釜が熱くなるのには少しばかり時間が掛かりますが、薪を焚き続けて約1時間程で熱々のお風呂が完成しました。
それでは、五右衛門風呂に入り疲れをとることに。
一日の疲れも煙と一緒にモクモクと空の彼方へ・・・
まだ木が燃え残っているので、せっかくなので芋を投入。
そう焼き芋です。
アルミに包んで、そのまま炎の中へ。
これも五右衛門風呂ならではの冬の楽しみの一つですね。
風呂を上がる頃には芋も焼き上がり、ホクホクの焼き芋をガブリ。
体もおなかもポッカポカ。
そして、心までもじんわりと温まりました。
「今年も毎日、五右衛門風呂に入って健康に過ごそう」とおばあちゃんもおっしゃっていました。
今は少なくなりつつある五右衛門風呂。
早く風呂を沸かすには、ガス風呂が優れておりさらに薪を拾う手間も省けます。
しかし、五右衛門風呂は長時間、風呂の温度が持続しますし、何と言ってもガス風呂に入るよりも体の芯からポッカポカに温まります。
そして、燃料の木は山からのいただきもの。
朽ち果てた木を利用することで、山の掃除もできますね。
昔ながらの暮らしは、自然と一体。
五右衛門風呂を通して、また一つ自然と触れ合い、自然に感謝する気持ちを培うことができました。
新しい五右衛門風呂もおばあちゃんと一緒に、これからも長生きしていってほしいと願います。
瀬戸内町・俵集落
S.B.I 調査員 K.K
2014.1.31
2014年02月14日
SBI講座「ミステリーサークルの謎」

2014年2月2日、瀬戸内町公民館で「大島海峡ミステリーサークルの謎」についての講演会が開催されました。
講演会の様子やミステリーサークルが出現する奄美大島海峡について、
マリンステイションのダイビングスタッフ伊藤がお伝えします。

講師の松浦啓一さんは水産学博士で魚類分類学のスペシャリスト。
詳しくはこちら

昨年9月、奄美海洋展示館で講演会が行われましたが、
“ぜひ地元での開催を!”ということで、今回の講座が実現しました。

実はこのミステリーサークル、小さなフグが作っています。
まずはそのフグの仲間について。
現在、全世界で知られているフグの仲間は約360種。

成長すると3mを超えるマンボウも実はフグの仲間。

そして右下枠内の写真は体長1cmのマンボウの赤ちゃん!!
コンペイトウ?太陽?のような衝撃的な容姿!見てみたい。
奄美大島海峡にも沢山のフグの仲間が住んでいます。
そのフグの仲間たちをちょっとだけ紹介します。

コクテンフグ(フグ目フグ科)

ヒトヅラハリセンボン(フグ目ハリセンボン科)

ミナミハコフグ(フグ目ハコフグ科)

モンガラカワハギ(フグ目モンガラカワハギ科)
みんな、コミカルでゆるキャラのモデルになりそうです。

日本のフグ科の仲間は約60種。
ミステリーサークルの作者は、このフグ科の中のシッポウフグの仲間だと考えられています。
シッポウという名前は七宝焼から来ているそうです。

これが奄美大島海峡で発見されたミステリーサークル。
春から夏にかけて嘉鉄と清水の水深10m~30mの範囲に出現しています。
大きさは直径約2m!

そしてこのフグがミステリーサークルの作者。
フグの仲間だけでなく魚類でこんな巣を作る魚は他に例が無いそうです。
成魚で体長約12cm。このフグが直径約2mのサークルを作る!
これを人間に換算すると直径約25mのサークルを作る事に・・・大変な作業ですね。

このミステリーサークルは2007年に清水で伊藤が初めて発見して以来、正体は謎のまま。
まさにミステリーだったのですが、2011年に水中写真家の大方洋二さんとともに、
フグとサークルの関係を確認しました。
なんと大方洋二さんは今から20年程前にも嘉鉄でサークルを見た事があったそうです。

2012年、NHK「ダーウィンが来た」の長期取材により、
ミステリーサークルの秘密が明らかになってきました。

オスが体やヒレを使い、約1週間かけてサークルを作ります。

1が作り始めで4が完成した状態です。
完成するとメスがサークルの中心円部分に産卵します。

卵が孵化するまでの約1週間、オスが卵の世話をします。
具体的には中心円部分の卵と砂をかき混ぜ、卵に新鮮な海水を送ったり、
侵入者や侵入物、外敵を追い払ったりなど。
この期間は周辺部分の溝を掘る作業はしなくなります。

メスはサークル周辺に居たり居なかったりで、卵の世話はしません。
約1週間後、卵が孵化するとオスは付近に新たなサークルを作り始め、
古いサークルは次第に消えていきます。

更にこのフグのスゴイ所は、潮の流れが緩やかになる小潮時期にサークルを完成させ、
潮流が強くなる大潮時期に卵が孵化するよう、潮汐にタイミングを合わせて
サークルを作っている事です。
この行動は小潮時期にサークルの綺麗な形を保ちメスに産卵してもらい、
大潮時期に孵化した赤ちゃんを広範囲に拡散させて、最終目的である種の繁栄を
促しているのでは?と考えられます。
潮汐に合わせる為なのか、たった1日足らずでサークルを完成させた例もあります。
何故あのような複雑奇怪な模様の巣が必要なのか?
諸説ありますが、この最大のミステリーはまだ解明されていません。

採集した卵から育てた稚魚のDNAを解析した結果、
なんと新種である事が判明!!
奄美大島海峡から新種が発見されるなんて、スゴイですね~、嬉しいですね~。
しかし新種として発表するには「基準となる標本が必要である。」
と、国際動物命名規約で決められているそうです。
要は最低1匹を標本として捕まえないと、
・新種登録できない
・名前が付けられない
・保護の対象とならない
という事だそうです。
2014年3月以降、ミステリーサークルのシーズンが始まったら、
新種登録の為の標本採集が行われる予定だそうです。
どんな名前が付けられるのか楽しみですね。
奄美に因んだ名前になるといいな~。
「海底のミステリーサークルができるまで」
2013年、イギリス国営放送BBC、テレビ東京の現地取材が行われました。
その他テレビ、ラジオ、新聞、雑誌、インターネット等各メディアで紹介されたり、研究論文も発表され、
奄美大島で発見されたミステリーサークルは注目され続けています。
奄美大島 瀬戸内町 大島海峡
2014.2.2
調査員 伊藤(マリンステイション奄美)
2014年02月07日
製糖シーズン到来!
春先の4月頃まで行われています。
黒糖は暖かい季節に太陽の光をいっぱい浴びて育ったウギ
(※島の言葉でサトウキビを「ウギ」といいます。)から作られ、
寒い季節に製糖するのが一般的です。
加計呂麻島には現在製糖工場が3軒あるのですが、今回は野見山で行われている1件の製糖工場で黒糖ができるまでの工程をレポートさせていただきました。
昨シーズンから私も冬場のアルバイトで大変お世話になっている製糖工場なので
仕事をしながらの実体験のレポートになります。

製糖の始まりはウギ刈りから始まります。これがまた難儀な仕事です。
ウギはタケノコのように表皮で覆われているので、根元から倒されたウギの皮を
鎌を使ってむいていきます。この日のウギ刈りの場所は徳浜。

上の写真でもなんとなくわかるように、根元から倒されたウギが
ある程度の量で一山ずつ置かれていきます。
これを一山ずつむしり手(表皮を鎌ではがす人)が手作業でむしっていきます。

使う道具はちょっと変わった形の鎌。
昔は普通の一本歯の鎌でむしっていたようですが、
時代と共に道具は進化して、先の二股に分かれている所に
ウギを挟んで皮をむいていきます。
刃先や根元の根っこを切る時は中央の歯の部分を使います。
まさに便利な道具ですね。

ウギの頭の部分は、このように葉がついているのでむしる時に切り落とします。

葉を切り落として皮をむいた状態はこんな感じ。

むしったウギはこのように一束にまとめ、運びやすいように
紐でくくっておきます。
後程運ぶ人の事を考えて、あまり重くならない程度の量が目安です。

これくらいの一束でもかなり重たいと思うのですが、
運ぶのも難儀な力仕事です。

だいたいウギ刈りは2~3日程度。製糖する量の分だけ刈り取られます。
このようにまとめられたウギはユニックでトラックに積まれ、
野見山の製糖工場まで運ばれていきます。

さて、ウギを製糖工場に下していよいよ製糖の段階に入っていきます。
こちらの製糖工場では不定期の日曜日に製糖が行われています。

工場の外から搾り機にウギが入れられ、甘い搾り汁を採集します。

搾った汁と絞りかすは別々に。
絞りカスは窯で火を炊く際に使われたり、
置いて後程肥料などの農業用に使われます。

ウギの汁を窯で炊いていきます。
製糖工場によって作り方に違いはあるのでしょうが、ここでは窯が3つに分かれ
煮立てていきます。灰汁が出てくるので丁寧に灰汁取り作業が行われます。
この段階で石灰が入り、黒糖の硬さなどを調節していくそうです。

2番目中央の窯。
この時の窯の蒸気はミネラルがたくさん含まれていてお肌にも良いそうです!

いちばん最後の3番目の窯。
ここでは水分を十分にとばしていきます。
飴状の蜜のような感じに変わって黒糖蜜になります。

窯の次は撹拌機へ。
300℃以上の暑い黒糖蜜を素早く撹拌機に投入。

固まらないように撹拌機で回しながら、黒糖を冷ましていきます。

撹拌機でまんべんなく混ぜられた黒糖は、少し熱が取れた状態で場所を移され
切る工程に入っていきます。
まだ素手で触るとかなり熱い状態なのですが、
熱いうちに木のへらで伸ばしていきます。
冷めてしまうと固まってしまうので、ここでも手早く作業が行われます。
切る時はステンレスのへらを使います。
切られた黒糖は粗熱を取り箱に詰められます。
通常販売される黒糖は、この後手作業で測り袋詰めされて出来上がりです。

撹拌機で冷めるまで混ぜて「サタ」と呼ばれる黒糖の粉末も作れます。

袋づめされた加計呂麻生まれの「がんみつ黒糖」です。
100%さとうきび。全ての作業工程が手作業。
通常の黒糖より白っぽいのですが、これは灰汁取りを丁寧に行っているからです。
味もエグみがなく、純粋な蜜の味。
オーナーのこだわりで、自分の育てたウギ以外は一切使ってないので
生産量も限られているので、まさに幻的な黒糖です。
奄美ではお茶を飲みながら、黒糖をつまむ習慣がありますが
本当に食べると止まらない美味しさなので癖になります。

追加おまけ写真ですが、
撹拌機に移す前の飴状の黒糖蜜を割り箸につけてもらいました。
水あめのように伸びてしかもアツアツ。
製糖工場でしか食べられない裏メニューとも言えるでしょう(笑)
島の人が子供の頃は割り箸を持って製糖工場に遊びに行き
おやつに蜜糖をおねだり目当てに遊びに行ったそうです。
黒糖はお茶受けとして食べるだけでなく、島料理や黒糖焼酎に欠かさない
食材の一つ。
昔はウギを育てる一般家庭が多かったようで、
私の住む諸数も盛んだったと言います。
隣近所の婆ちゃんに私がウギ仕事に行く話をすると
「あんたもウギしてるの?難儀な仕事感心ね~若い頃を思い出す。」と
喜んでくれるのが何だかちょっぴり嬉しく誇らしく思います。
今はこうして島の産業的に繋がれていると思うのですが、
どんな形としても、このような島の伝統や文化である
島の個性は受け継いで、後世に残していきたいものです。
長くなりましたがレポートは以上です。
まだ製糖シーズンは始まったばかりなので、
これから美味しいできたての新糖を、
皆さんもぜひお試しください。
加計呂麻島、諸数在住
須崎 まさこ
2014年02月01日
奄美の正月料理 「三献」
平成26年1月31日(金)は、旧暦の一月一日でした。
昔は、旧暦で祝っていた正月も、今では、新暦でお祝いしていますね。
皆さんは、今年のお正月、どのようにお過ごしになりましたか?
シマに帰省して、久しぶりに友人や家族と過ごされた方もいらっしゃったのではないでしょうか?
帰省する楽しみの一つは、やっぱり 「我が家の味」
中でも、お正月にいただく料理はいかがだったでしょうか?
本土のお正月料理といえば 「お雑煮」 や 「お節料理」 が浮かびますね。
シマでは、 「三献」 と言われる料理が、お正月料理として食されています。
「三献」とは、一の膳、二の膳、三の膳からなるお祝いの席で提供される料理のこと。
または、その飲食形式をさす言葉でもあります。
現在は、主にお正月に食べられる料理となっているようです。
奄美大島でも地域によって異なりますが、 「三献」 で提供される料理は以下のようです。
「一の膳」 吸物(餅吸物:餅、海老や蒲鉾、野菜等が入る)
「二の膳」 刺身
「三の膳」 吸物(餅無吸物:豚、魚、鶏、海老、蒲鉾、野菜等が入る)
そして 「三献」 の特徴のひとつ。
それは “膳を食べ終える毎に一献、合計三献のお酒をいただく” ことのようです。
また、一の膳の前に、塩、さきいか、昆布からなる 「シュームリ(塩盛)」 をいただいたり、
三の膳を食べ終わった後、 「ヒムン(干物)」 と呼ばれる焼き魚をいただいたり、
「三献」 が終わった後に、大晦日に食べる 「豚骨」 や本土のような お節料理 をいただく家庭も。
各家庭、各シマでいろいろな 「三献」 の料理があるようです。
『南島雑話』(幕末の奄美大島の生産・民俗・年中行事、動植物などを記録した資料)では、
「三献」で提供される献立に
「雑煮、吸い物、刺身(二切)、豚汁、硯蓋、丼、多台、焼酎」
などがあると記されています。
現代の「三献」料理の献立に通ずる物もありますね。
昨年、瀬戸内町文化遺産活用実行委員会では、メールやFacebookで、
皆さんの家庭で食べられている 「三献」 の写真投稿をお願いしました。
「お宅の三献教えてください!」
皆さんから送っていただいた大切なデータ。
今回、やっと記事にすることができました!
データを送っていただいたのは、奄美大島にお住まいの20家族。
調査にご協力いただき、本当にありがとうございました。
それでは、皆さんの 「三献」 料理をご覧ください。
瀬戸内町
【O家】
このお宅ではお酒をお屠蘇セットでいただいていますね。
餅の入った吸物をシマでは 「ムチズイムン(餅吸物)」 といいます。
お刺身にタコも良く見かけます。
こちらは生麩入り。
たくさんの具材が入って美味しそう。
「豚骨」 には厚揚げや蒟蒻なども。ハートの人参が可愛いですね。
【F家】
こちらのお宅では、お膳を使用していますね。
「三献」 では、かつて一膳ずつ料理が運ばれていたそうです。
お刺身と吸物には 「ソージ(かんぱち)」 を使ったそうです。
昔からお正月用の魚として、 「ソージ」 は人気の魚だったようですよ。
三の膳は 「ィユンシル(魚の吸物)」 ですね。
【I家】
床の間には立派なお正月用のお飾りが!
瀬戸内町では鏡餅や生け花の他に、ウディ(カブ)を飾る家庭があります。
ウディは黄色い花をつけるので、 「クガニバナ(黄金花)」 と呼ばれています。
(写真ではちょうど花の部分が切れていますね・・・)
綺麗でたくさん花をつけているものをお正月飾りとして好んで飾ります。
ウディは橙や松などとともに、縁起の良い飾りものなのです。
こちらは 「シンカン」 と呼ばれる吸物です。
「シンカン」 は蓋付陶磁器碗をさす言葉でもあるようですね。
瀬戸内町では 「シンカン」 を三の膳でいただく家庭があるようです。
「ヒムン」 と 「シュームリ」 両方をいただくようですね。
「ヒムン」 はその名の通り、かつては塩漬けの干物を食べていたようです。
現代の 「ヒムン」 は、尾頭付きの鯛が主流のようです。
【N家】
「三献」 が終わった後にいただく料理も撮影していただきました。
金柑や豆の甘露煮、地豆(ピーナッツ)や酢の物なども。
こちらのお酒は 「カラカラ」 と呼ばれる酒器でいただくようですね。
こちらのご家庭でも 「ヒムン 」と 「シュームリ」 両方を食べるそうです。
仕切りのある皿に入って出される料理を 「オードブル」 と呼んでいます。
オードブルはお祝いの席などで出される料理です。
【S家】
「三献」 でだされる料理を一枚の写真におさめていただきました。
こちらのお宅でも三の膳に 「シンカン」 をいただくようです。
【K家】
こちらも 「三献」 の料理を一枚に。
お刺身はタコ。
吸いついて離れないのが縁起が良いとか。
「シンカン」 に入った魚が分厚くて美味しそう!
こちらでも 「三献」 が終わった後は、 「豚骨」 をいただくようですね
【M家】
「シンカン」 に蒟蒻やウム(里芋)が入っていますね。
昔は 「三献」 の吸物の具材に、必ずウムやコーシャ(山芋の一種)が入っていたそうですよ。
【F家】
こちらのお宅では、1人ずつ 「三献」 料理が膳にのせられていました。
他の写真をお見せできないのが残念ですが、こちらのお宅では 「三献」 をオモテ座敷(床の間のある部屋)でいただいていました。
家長を上座に家族がシャーマジキ(正座)をして、 「三献」 の膳を囲んでいる様子は、ちょっと昔のシマのお正月の様子を見ているようでした。
【F家】
こちらのお宅の吸物も具だくさん!
食べ応えがありそうですね。
こちらは魚、豚、鶏肉が入ったお吸物。
なんとも贅沢な一椀ですね。
おばあちゃん家の 「三献」 料理も撮影していただきました。
こちらでは 「シンカン」 を使用していますね。
おばあちゃんのお話しでは、 「シンカン」 はお客様用にお出しする吸物なんだそうですよ。
【T家】
なんとも、豪華なお正月料理の数々ですね。
奥の重箱にはコーシャが入っていますね。
赤紫色をしたコーシャの塩煮もお正月料理の重要な一品でした。
お刺身はイカのようですね。
こちらのお宅でも三の膳は 「シンカン」 ですね。
【H家】
こちらのお宅では・・・まずは 「餅吸物」 をいただきます。
そして、お刺身。
続いて、魚の吸物。
これにて 「三献」 は終わるのですが・・・。
この後に 「シンカン」 を食べるのです。
こちらのお宅では、 「三献」 が終わった後に 「シンカン」 をいただくそうです。
とても驚きました!
【H家】
こちらのお宅の 「シンカン」 はお汁無し!
「シンカン」 は 「煮物」 なんだそうですよ。
「オードブル」の品々 は本土のお節料理と似ていますね。
【M家】
吸物の具材を撮影していただきました。
準備をされるお母さんだからこそ撮ることができた写真ですね(貴重な写真、ありがとうございました!)。
吸物の具材は一品毎に下準備が異なります。
手間暇かけて、作られた三膳ですね。
宇検村
【U家】
「三献」 でだされる料理を一枚に。
赤うるめの唐揚げが目を引きますね。
こちらは「餅吸物」、具だくさんですね。
三の膳の吸物は豚肉に三角形の豆腐入り!
豚骨
こちらは「年取り餅」。
「年取り餅」は大晦日に豚骨と一緒に出されますが、新年にも食べるんですね。
大和村
【F家】
こちらのお宅では、「シュームリ」をいただくんですね。
一の膳の餅吸物は具だくさん。
三の膳は豚の吸物のようです。
龍郷町
【K家】
「シュームリ」は床の間飾りと一緒に、置かれていますね。
こちらのお宅の餅吸物も具だくさんですね。
三の膳の吸物は豚の吸物。
器は陶磁器で、瀬戸内町の「しんかん」と似ていますね。
奄美市
【T家】
こちらのお宅も餅吸物は具だくさんですね。
三の膳の吸物は鶏肉が入るそうですよ。
【M家】
結びネギがお祝いの椀にふさわしい具材ですね。
三の膳は鶏の吸物。
大根や人参も入っていて美味しそうですね。
【I家】
こちらのお宅の三の膳は豚の吸物。
陶磁器碗に入っており、瀬戸内の町「しんかん」と似ていますね。
【K家】
こちらのお宅では「シュームリ」をまず最初にいただくそうです。
一の膳の餅吸物。
三の膳は鶏の吸物。
山盛り入っているのはササミ。
美味しそうですね。
こちらのお宅では「三献」が終わった後に、豚骨入りの「やさい」と呼ばれる煮物をいただくそうです。
*****
今回は、瀬戸内町13家族、宇検村1家族、大和村1家族、龍郷町1家族、奄美市4家族の 「三献」 料理をご紹介しました。
一度に20家族の「三献」料理を目にする機会は、なかなかありません!
奄美大島だけでも、「三献」料理の内容が多種多様であることを知ることできました。
各家庭ならではの習わしに沿い、続けられてきた 「三献」 という儀式。
みなさんから送っていただいた写真からは、料理を囲み集う家族の姿が見えるような気がしました。
新しい年を家族みんなで祝う。
本当に素晴らしいことだと思います。
いつまでも続いていってほしい、シマの伝統行事です。
今回、「三献」料理の調査にご協力くださった皆さん、本当にありがとうございました!
*****
〈参考文献〉
『南島雑話』
瀬戸内町・古仁屋
S.B.I 調査員 鼎さつき
2014.1.31