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2014年09月30日

埋蔵文化財分布調査 「須子茂集落」

平成26年9月17日
「第2回 島案内人育成講座」 が開催されました。
平成26 年度特定離島ふるさとおこし推進事業 「島案内人育成講座」



今回の開催地は加計呂麻島・須子茂集落。


須子茂集落は昔ながらの集落空間が残された集落のひとつ。
ノロ祭祀が行われていたアシャゲやトネヤ,集落の守り神イビガナシが訪れる人を迎えてくれます。
集落内の道は,現在ではめずらしい未舗装道。
砂を踏みしめる音を聞きながら,集落散策をのんびり楽しむことができます。
人一人通るのがやっとの道が突然現れたら,それは “カミミチ” かもしれませんよ。
 関連記事はこちら → 「須子茂集落散策 /島案内人講座」



***

今回,埋蔵文化財調査員は島案内人講座に同行し,集落内の埋蔵文化財分布調査を行いました。


まずは,島案内人講座の座学で「須子茂集落の考古学的な歴史」について学びました。

須子茂集落では集落内の道路工事に伴い,発掘調査が行われており(平成16~18年),
弥生時代~近代までの遺物がみつかっています。




座学が終わると,受講生のみなさんは遺物の表面採集にチャレンジです。

場所は集落内・グジヌシ邸宅跡地。
 ※グジヌシ・・・ノロ神事を行う神役組織の中で唯一の男性神役

みなさん,遺物を見つけようと,ずっと地面とにらめっこしていました。




遺物を見つけたら,学芸員の鼎さん(鼎隊長)に,産地や時代を教えてもらいます。





塀沿いには壺や甕が逆さまに陳列。

この壺や甕も,かつては水を溜めたり,食糧を貯蔵したり大活躍していた遺物です。



遺物を探しながら,集落内を散策すると,立派な門柱(もんちゅう)のあるお宅を発見。

両門柱の上に貝が置いてありますね。
シマでは「魔除け」としてクモガイやスイジガイなどを門柱や玄関付近に置く家があります。



この家の門柱上にはサラサバテイラ(高瀬貝),スイジガイ,クモガイが置かれていました。




この家の塀にはゴホウラが!

ゴホウラはスイショウガイ科の巻貝。
日本では奄美大島以南に生息しています。
ゴホウラは特に弥生時代において北部九州を中心に,貝輪の原材として需要のあった貝です。
種子島広田遺跡からも多くのゴホウラ製貝輪が,お墓の副葬品として出土しています。

ゴホウラは須子茂集落の発掘調査でも出土している貝ですが,中には一部加工跡のある貝も出土しました。
また,依然行った分布調査でもたくさんのゴホウラが採集されています。




***


昼食後,海岸線でも遺物拾いを行いました。

同時に,現在の海岸で採集可能な貝種調査も行いました。
ここでもゴホウラやホラガイなどを採集することができました。



午後の講座では,集落の辻(つじ)にハブ゙とシャコガイを埋める事例について説明。

「辻」とは,道が十字に交差している地点のことを指します。
須子茂集落では2カ所の辻から,シャコガイに覆われたハブ゙の骨が出土しています。


調査時に出土したシャコガイは約2kgを超える大型のもの。
貝殻・裏をハブの骨にかぶせるように埋設されていました。
(沖縄ではシャコガイのことを俗に「アジケー」と呼び, “魔除け” として門柱などに置くそうです)

シマではハブを “マジムン” と呼び,古くから恐れてきました。
集落などで発見されたハブは撲殺等を行った後,二度と集落内に出没しないようにとの祈りを込め,
魔除けの貝で覆い,辻に埋めたようです。

受講生の中には,
「昔はシマでやっていたよ」という方や,
「つい最近,同じようにして自分の集落の辻にハブを埋めた」という方もいて驚きました。

発掘調査によって証明される民俗事例があることに,みなさん興味深々で話を聞いていました。


集落の道脇,特に辻近くに大きなシャコガイが転がっていたら,
もしかするとハブを辻に埋める民俗事例の名残なのかもしれません。





最後に,
公民館前の広場に集合し,皆さんが拾った遺物を並べてみました。



土器や中国産の陶磁器(青磁,青花),本土産の陶磁器,陶器,沖縄産の陶器,貝 などなど
(中にはごくごく最近の落し物もありましたが)
今回の分布調査によって須子茂集落では古墳時代~近代の遺物を採集することができました。




【参考文献】
鼎丈太郎 2010 「調査区6.9検出 シャコガイ遺構」『須子茂集落遺跡 遺跡範囲確認調査報告書,瀬戸内
        町文化財調査報告書』第3集
鼎丈太郎 2012 「奄美大島南部におけるゴホウラ資料 ~表面採集状況及び若干の考察~」『奄美研究の
        地表を拓く,第45回琉球大学史学会大会奄美大会 大会資料』
木下尚子 1996 「辟邪の貝 ―しゃこがい考―」『比較民俗研究』第6号 筑波大学比較民俗研究会
黒住耐二 2011 「琉球先史時代人とサンゴ礁資源 ―貝類を中心に―」『先史・原史時代の琉球列島 ~ヒト
        と景観~ 考古学リーダー』第19号 六一書房
町健次郎 2010 「調査区6・調査区9出土のハブについて」『須子茂集落遺跡 遺跡範囲確認調査報告書,
        瀬戸内町文化財調査報告書』第3集
山里純一 1997 「沖縄の魔除けとまじない ―フーフダ(符札)の研究―」『南島文化叢書 18』 第一書房



2014.9.27
埋蔵文化財調査員 鼎さつき  


Posted by S.B.I at 08:00Comments(0)埋蔵文化財須子茂集落

2014年09月28日

須子茂小学校 「旧奉安殿」

瀬戸内町,加計呂麻島,須子茂集落。





須子茂集落は,加計呂麻島の西側に位置する集落です。
同集落にある須子茂小学校(現在、休校)。




校内北東部,体育館・裏には 「旧奉安殿」 (以下、奉安殿)が今も残されています。


奉安殿は戦前,主に尋常高等小学校に建てられた建造物。
建物内には,「教育勅語(謄本)」と天皇・皇后陛下の「御真影(写真)」が安置されていました。
瀬戸内町には現在6つの奉安殿が残されています。



『須子茂小学校百周年記念誌」』によると、
須子茂小学校の奉安殿は1939年(S14)9月に竣工したようです。



鉄筋コンクリート造りで,切妻(きりづま)屋根。
入口は平入(ひらいり・屋根の棟と並行な面に出入口がある様式)となっています。




屋根の上にある棟(むね)には千木(ちぎ)と堅魚木(かつおぎ)もあります。

千木は屋根の両端で交叉させた部材,
堅魚木は屋根の上に棟と直角になるように置かれた部材をいいます。



高欄(こうらん)
基壇や階段に設ける装飾性・安全性を兼ねた手すりです。




須子茂小学校・奉安殿の特徴は,「菊の御紋」が現在も残っているということです。
菊の御紋は銅製とのことでした。



【 須子茂小学校・旧奉安殿 】
所在地 : 鹿児島県大島郡瀬戸内町須子茂331
構  造 : 鉄筋コンクリート造,平屋建,基壇付
       切妻造
       平入
       懸魚(げぎょ),鬼板(おにいた),破風板あり
       四隅に角柱を型取りし,壁面は洗い出し仕上げ
       軒・・・一軒・疎垂木(ひとのき・まばらだるき)
       棟・・・千木と堅魚木あり
       高欄・・・刎(はね)高欄
       扉・・・金属製
       入口上部に菊の紋章飾りあり

       
 ※「神社建築」を範とする
 ※「国の登録有形文化財」 2006年(H8)8月 登録



【参考文献】
瀬戸内町立須子茂小学校 1980 『須子茂小学校百周年記念誌』 
鹿児島県教育委員会 2004 『鹿児島県の近代化遺産 -鹿児島県近代化遺産総合調査報告書-』
鼎丈太郎 2006 「瀬戸内町の奉安殿」『平成17年度 文化財会報』 奄美文化財保護対策連絡協議会 
鹿児島県HP
井上光貞 1998 『図説 歴史散歩辞典』





2014.9.17
加計呂麻島・須子茂集落
埋蔵文化財調査員  鼎さつき