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2014年09月28日

須子茂小学校 「旧奉安殿」

瀬戸内町,加計呂麻島,須子茂集落。





須子茂集落は,加計呂麻島の西側に位置する集落です。
同集落にある須子茂小学校(現在、休校)。




校内北東部,体育館・裏には 「旧奉安殿」 (以下、奉安殿)が今も残されています。


奉安殿は戦前,主に尋常高等小学校に建てられた建造物。
建物内には,「教育勅語(謄本)」と天皇・皇后陛下の「御真影(写真)」が安置されていました。
瀬戸内町には現在6つの奉安殿が残されています。



『須子茂小学校百周年記念誌」』によると、
須子茂小学校の奉安殿は1939年(S14)9月に竣工したようです。



鉄筋コンクリート造りで,切妻(きりづま)屋根。
入口は平入(ひらいり・屋根の棟と並行な面に出入口がある様式)となっています。




屋根の上にある棟(むね)には千木(ちぎ)と堅魚木(かつおぎ)もあります。

千木は屋根の両端で交叉させた部材,
堅魚木は屋根の上に棟と直角になるように置かれた部材をいいます。



高欄(こうらん)
基壇や階段に設ける装飾性・安全性を兼ねた手すりです。




須子茂小学校・奉安殿の特徴は,「菊の御紋」が現在も残っているということです。
菊の御紋は銅製とのことでした。



【 須子茂小学校・旧奉安殿 】
所在地 : 鹿児島県大島郡瀬戸内町須子茂331
構  造 : 鉄筋コンクリート造,平屋建,基壇付
       切妻造
       平入
       懸魚(げぎょ),鬼板(おにいた),破風板あり
       四隅に角柱を型取りし,壁面は洗い出し仕上げ
       軒・・・一軒・疎垂木(ひとのき・まばらだるき)
       棟・・・千木と堅魚木あり
       高欄・・・刎(はね)高欄
       扉・・・金属製
       入口上部に菊の紋章飾りあり

       
 ※「神社建築」を範とする
 ※「国の登録有形文化財」 2006年(H8)8月 登録



【参考文献】
瀬戸内町立須子茂小学校 1980 『須子茂小学校百周年記念誌』 
鹿児島県教育委員会 2004 『鹿児島県の近代化遺産 -鹿児島県近代化遺産総合調査報告書-』
鼎丈太郎 2006 「瀬戸内町の奉安殿」『平成17年度 文化財会報』 奄美文化財保護対策連絡協議会 
鹿児島県HP
井上光貞 1998 『図説 歴史散歩辞典』





2014.9.17
加計呂麻島・須子茂集落
埋蔵文化財調査員  鼎さつき  


2014年09月08日

今年度の活動『埋蔵文化財調査』について

今年度、瀬戸内町立図書館・郷土館(埋蔵文化財)では、
国の補助事業を活用して、瀬戸内町内の埋蔵文化財調査を行います。

これまで、瀬戸内町で行われてきた調査では、町内約50の遺跡を確認しています。


しかしながら、瀬戸内町は大変広い地域のため、未だ調査されていない場所も多く存在します。
数年前から少しずつ、これまで発掘された遺跡の資料整理などを進めてきました。


瀬戸内町を代表する遺跡としては、

昭和49年8月に発掘調査された 『嘉徳遺跡』 があります。
約4,000年前の遺跡で、発掘調査によって石器や土器が数多く発見されました。

詳細は、
せとうちなんでも探検隊のHP『映像遺産』で紹介している嘉徳遺跡Webをご覧ください。


嘉徳遺跡は約40年前に発見された遺跡ですが、長らく専門職員がいなかったことや、
発掘された遺物が膨大な量であるため、数年前からようやく整理作業に取り掛かることができています。

嘉徳遺跡から出土した土器は “嘉徳式土器” と呼ばれ、縄文時代を代表する土器のひとつとなっています。
ゆっくりですが着実に、先人達が発見した大事な遺跡、遺物を分析・研究し、報告することで、
埋蔵文化財調査員一同、地域の宝を発信できれば・・・と考えています。



瀬戸内町には嘉徳遺跡だけではなく、“戦争遺跡” という遺跡もあります。 
瀬戸内町・本島側では 「奄美大島要塞司令部跡」 や 「手安弾薬庫跡」
加計呂麻島では 「安脚場砲台跡」 や 「呑之浦震洋艇跡」 が有名です。

今回の分布調査では既存の戦争遺跡も含めた調査を実施します。
調査は瀬戸内町に残る戦争遺跡の “現存状態の把握" を目的として行います。


関連記事
与路島の戦跡
SBI講座「瀬戸内町の戦争遺跡について」



月日の経過により失われつつある、戦争遺跡。
その保存・管理など含めた安全管理について、今後考えていかなければなりません。
そのためにも、瀬戸内町の戦争遺跡の現存状態の把握が急務となっているのです。


その他にも、「各集落を歩いて、落ちている土器やお茶碗のかけらなどを集める」、という調査も行います。
集めた土器や茶碗のかけら(=遺物)から、その遺物が作られた年代を知ることができる場合があります。
遺物を分析することで、
どの集落のどの地区にどの時代の遺跡があるかもしれない???と予測することができるのです。


町内には、まだまだ知られていない遺跡が数多く残されています。
みなさんが住む集落や家、畑や河川の下など、
意外なほど身近な場所に “遺跡” は眠っているのです。
“埋蔵文化財” に少しでも関心を持っていただけると、“土地の歴史” を感じることができると思います。

この遺跡調査で、新たな発見があるかもしれません。
先日、ご紹介したヤコウガイの遺跡も見つかるかもしれませんね。

皆様からの情報をお待ちしています。




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さて、もう少し今回の事業内容を理解していただくために、
Q&Aをご紹介します。

Q1. 埋蔵文化財って?
A.土地に埋蔵されている文化財のことです。
構築されたもの(遺構【いこう】)、使っていた石器や土器(遺物【いぶつ】)、
こういったものが埋まっている土地を 『遺跡【いせき】』 と呼びます。
一般的に、 『遺構』 『遺物』 『遺跡』 を総称したものを、『埋蔵文化財』 と呼んでいます。



Q2. 近代化遺産って?
A.江戸時代末期から、明治、大正、昭和初期の間に、先人たちが海外の技術を取り入れ、創り上げてきた
建造物やシステムなどのことです。
上記の建造物やシステムは “国の近代化に貢献した貴重な資産” とされています。



Q3. 戦争遺跡って?
A.戦争にかかわる遺跡や、痕跡【こんせき】、軍事施設や坑道、防空壕、記念碑、また戦争で被災した建造物などを指し、 “戦跡” とも呼ばれています。
瀬戸内町には数多くの戦跡が残っています。



Q4. 分布調査は何に役立つの?
A.地域の方々に地域の歴史を知っていただくことができます。
また、埋蔵文化財は “文化財保護法” という法律によって守られています。
そのため、遺跡があるかもしれない土地を分布調査によって市町村が把握し、
埋蔵文化財が発見された場合の手続きがよりスムーズに行えるよう、
事業所や市町村民へ周知するためでもあります。
知らないうちに、その土地の歴史を知る手掛かりが無くなっている・・・という事態にならないためにも、
分布調査は必要なのです。

近年、開発事業が進んでいます。知られていない遺跡などが壊れていく可能性もあります。
町としては、これらを把握する必要があるのです。



Q5. どんなふうに調査するの?
A.おもに集落を散策しながら、地面に落ちている土器や茶碗のかけら等(=遺物)を、
表採【ひょうさい】(表面採集)します。
そして遺物を拾った地点や周辺環境を記録します。
*実際の調査が始まりましたら、また改めて調査内容等についてご紹介していく予定です。



Q6. 埋蔵文化財と自然の関係は?
A.『奄美大島の昔の暮らし』を考えていく時に、
その土地の自然環境・海洋環境を知ることが重要になってきます。
先人たちは、日々の暮らしの中で、“自然にあるもの” を利用してきました。
遺物の中には、土器や石器など、人が作ったものの他に、
骨や貝、木の実など自然のものも多くあります。
現在の自然環境・海洋環境を知ることは、『昔の暮らし』を考える上で
とても大切なことなのです。



Q7. 昔のものと思われる器のカケラが近くに落ちているけれど、
どうすればいいの?

A.できるだけそのままの状態にしてください。
触ってしまったら、元の場所に戻しましょう。



その他にも疑問・質問などありましたら、メール等お寄せください。



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いよいよ今週から現地調査を開始します。
各地域の情報などがありましたら、メールにてご連絡いただけましたら嬉しいです。
(左欄の『メッセージを送る』から送ることができますよ。)

今年度の活動記録は、「ヒギャジマンブログ」や「せとうちなんでも探検隊HP」にて紹介していく予定ですので、
どうぞよろしくお願いいたします。
 

2014.9.4
瀬戸内町立図書館・郷土館
埋蔵文化財調査員一同