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2013年12月16日

芭蕉の糸つくり体験

11月24日(日)
秋晴れの爽やかな気候の中、芭蕉糸の親子ワークショップが始まりました。

今回のワークショップは、瀬戸内町文化遺産活用実行委員会主催による
平成25年度伝統文化親子体験教室事業「芭蕉の糸とコースターつくり」というものです。

今回は、「芭蕉の糸作り」を親子で楽しく学び、作るワークショップ。


芭蕉といえば、食べるバナナを浮かべる人が多いことでしょう。
実は、芭蕉には実を食べる実芭蕉と幹から繊維を取る糸芭蕉があるのです。

今回の主役は、この糸芭蕉です。

まずは瀬戸内町立 図書館・郷土館 で、ご指導頂く内山先生のお話や今日一日の予定を聞きました。
奄美市名瀬を中心に活動されている「あまみ~るクラブ」代表の内山初美先生は、笑顔がステキで、織物に対する愛情たっぷり。
糸芭蕉に関わられて10年ほどだそうで、ご自分でも芭蕉布を織ったり、沖縄や沖永良部島の工房を訪ねたり、
研究熱心でお話に引き込まれました。
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総勢30名ほどの参加者たちは、親子の方や芭蕉に興味のある女性など…
皆さん、ワクワクした表情です。

いざ、芭蕉を倒しに須手へ車移動。



①ウー(苧)剥ぎ

糸芭蕉の根元20㎝より、ノコギリで切ります。
驚くほど、水分たっぷりの芭蕉ちゃん。
この液が洋服に付着すると、染みになりますので、ご注意くださいな。
切ったところから、1メートルの長さに上部も切り落とします。
親子は交代しながら、息を合わせて協力作業。子供でも簡単に切れます。
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この糸芭蕉を倒す作業は、10月~2月の寒い時期に行うもので、春から夏の間に芯止めという葉の生えている上部を切り落とす手入れをします。
この手入れをすることにより、花や実や葉に行き渡る栄養を幹に蓄え、上質な糸になるのでしょう。
だいたい3年が、刈り取りに適した時期で、それ以上になると繊維が硬くなるそうです。


さぁー、図書館前庭へ戻り、次の作業です。

倒した糸芭蕉を根元を上に向け、外皮を剥がします。
ここでもったいない精神は必要ありません。これでもかとガシガシ剥きます。キレイな薄緑色になるまで、ドンドン剥きます。



次が肝心な糸となる皮を剥ぐ口割い(くちわい)作業です。
引き続き、根元を上に向け、幅1~1.5㎝にナイフで切り込みを入れ、下まですーっと剥ぎ取ります。
切り込みを入れてから、体を後ろへ倒していくと、キレイに下まで取れるようです。
ここで重要なことは、剥ぎ取った繊維の根元は根元で持っておくこと。
これが、糸になるときに重要です。
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この作業は子供たちがハマっていました。
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親が糸芭蕉の幹を支え、子供が皮を剥ぐ。
回数を重ねるごとに、上手に剥ぐことが出来るようになり、楽しそうです。
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糸芭蕉の繊維は、内側ほど良質で、着物や帯を織る糸になります。
外側はアクセサリーやコサージュなどに用いられています。
いつもは3種類に分けるそうですが、今回は、内側と外側の2種類に分けました。
江戸時代に記された『南島雑話』では、なんと6種類に分けていたそうです。



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最後に片手に握れる剥ぎ取った繊維を、少しだけ根元を出して、3つに折り曲げます。
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根元から1本取り出し、3つ折りにした部分にクルクル巻き付け、重なり合った部分に挟み込んで完成。







②ウー(苧)炊き

大きな鍋に灰汁を入れ、鍋の縁から反対側の縁までロープを敷いておきます。ロープはひっくり返す際に役立ちます。その上に3つ折りにした外側の糸芭蕉を入れてマキで炊きます。
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外側と内側では炊く時間が違います。
硬い外側は沸騰してから10分、ひっくり返して20分。柔らかい内側は沸騰してから10分、ひっくり返して10分。
これはあくまで目安の時間で、その糸芭蕉や灰汁によっても異なるとのことです。

この煮ている時間に、ランチタイム。
気持ちの良いお天気なので、持参したお弁当を広げれば、まるでピクニック。
焼き芋をする焚き火が始まり、子供たちは駆け回り、穏やかな時間です。



おっと、煮えてきたようです。
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キラキラ薄ピンクに輝いていた糸芭蕉が渋い黄金色に変化していました。



大きなボールに煮えた糸芭蕉の束が崩れないように引き上げ、
少し煮汁をかけ、糸芭蕉の葉を被せ蒸らします。
今回は糸芭蕉の葉をフタにしましたが、ナイロン袋などでもいいようです。
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しばらく蒸らした後、ボールに水を入れ、束を崩さないよう慎重に洗います。
2度ほど洗ったら、今度は水切りです。
穴のあいた容器に糸芭蕉の束を並べ、上に おもし をします。今回は30分ほどの水切りでしたが、
一晩しっかり水切りする工房もあるそうです。

同様に内側も煮て、蒸して、水切りです。



③ウー(苧)挽き

さぁー、クライマックスの作業です。
水切りした糸芭蕉の束を広げ、その中からひと束を取り出し、根の方15㎝ほどの部分を左手で持ち、竹のハサミを右側へ引き、不要物をしごき落とします。
これでもかと、しごき落とします。
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ヌチャヌチャした不純物が竹のハサミに残ります。
この不純物はゴミではなく、なんと紙の原料になるのです。
糸芭蕉に捨てるところなし。





キレイに不純物が取れると、少しづつ束がほどけ、糸のようになっていきます。
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左手で持っていた部分を逆に持ち替え、根の方15㎝も、竹のハサミでシャーとしごきます。


これをひと束づつ、丁寧に繰り返し行います。
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かなり根気のいる作業ですが、参加している方たちと語り語りしながらやると、楽しい作業になりました。
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昔はシマ(集落)の協同作業として、糸芭蕉をしていたそうです。
それだけ人手がいるし、手間がかかるし、シマをあげてしないと成り立たなかったのでしょう。
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④ウー(苧)うみ

最後に図書館2階へ戻り、はた結びの練習です。この結び方は大島紬と同じです。
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不純物を取り除いた糸芭蕉は風通しの良い日陰で乾かし、クルクル巻いてチング巻きにして保存します。
糸にする際は、しばらく水にチング巻きを付け、根を左手に持ち、右手で希望の太さに裂いていきます。
何本か裂いたら、糸の端と、次の糸の根の方をはた結びします。

これで糸芭蕉の糸の完成です。

糸芭蕉には、常に水分が必要なので、糸をうむ時、機織りをする際、必ず水分を与えてあげるそうです。

現在は芭蕉布といえば、沖縄が主流ですが、昔は琉球王国へ奄美大島の芭蕉の糸を輸出していたり、江戸時代の奄美大島の人々は芭蕉布の着物を付けていたり、奄美大島と芭蕉は昔は深い関わりがあったようです。
奄美大島特産の大島紬のベースになったのも、どうやら芭蕉布らしいのです。

そんな興味深いお話も、内山先生から伺い、ますます芭蕉布世界へ引き込まれた一日でした。

次回12月8日は、芭蕉糸でコースターを織ります。皆さんで、トントンしちゃいましょう。 



11月24日(日) 瀬戸内町古仁屋 
調査員 a.s  


Posted by S.B.I at 09:00Comments(0)奄美大島民俗産業伝承講座

2013年11月30日

西阿室集落 散策 / 島案内人講座

9月14日。
加計呂麻島の西阿室集落へ行ってきました。



西阿室集落は人口105人,世帯数63(平成25年9月14日現在)
加計呂麻島にある30集落のうち,2番目に大きな集落です。
S.B.Iでは以前「西阿室 十五夜豊年祭」の取材をさせていただいています。


この日は瀬戸内町が主催する「島案内人講座」に同行させていただきました。
「島案内人講座」については過去記事をご覧ください→須子茂集落散策 芝集落散策



*****


まずは海上タクシーで加計呂真島・瀬相港へ向かいます。
1‐1海上タクシー
およそ30分の船旅もまた,瀬戸内町ならではです。



港に到着後は加計呂麻バスで,いざ西阿室集落へ。
2バス
マイカー所有率の高いシマッチュにとって,マイクロバスに乗るのはめったにないこと。新鮮,新鮮!
ガイドの方の説明を聞きながら,学生時代の遠足を思い出したり。




今回のガイド役は池田さんと籾山さん。
3講師
お二人は島案内人講座の認定試験に合格され,「島案内人」に認定された方々です。




まずは西阿室小学校近く,サト地区のミャー跡に集合。


午前中は集落散策
午後からはシマの遺跡についての講義と,土器などの遺物拾いです。

用意していただいた西阿室集落についての資料をもとに,案内スタートです。



*****


こちらはカミヤド
4カミヤド
カミヤドとは「神様が滞在する家」のこと。
サト地区のトネヤにお連れした神様は,西俣家に滞在したと言われているそうです。




カミヤドから続く道を歩くと,厳島神社へとつながります。
5厳島神社



階段を登り切ると狛犬がお出迎え。
6厳島神社 狛犬



厳島神社の縁起(由来)は江戸時代末期に遡るそう。
7厳島神社 本殿
神社のなかった集落に広島から移住した伊東義右衛門が伊東家の屋敷神として,広島の厳島神社より分祀したのが始まりと言われています。旧暦の9月9日と大晦日に礼祭が執り行われるそうです。




厳島神社を後にし,集落の道を歩いていきます。
8 散策風景 花 石
巨大な一枚岩が道にせり出していたり,壺・甕が無造作に転がっていたり。
門柱に置かれたシャコガイや,ハブ除けの用心棒,ハイビスカスにサルスベリの花。
次の目的地までの道のりも,楽しい発見の連続です。




伊東義尚旧邸
10伊藤義尚邸


11伊東義尚顕彰碑
伊東義尚氏は神奈川県鎌倉群長を務めた後,奄美へ帰郷。
1929年に名瀬町長に就任すると名瀬のみならず奄美振興のため,国の役人と折衝を重ねました。
その熱意が国と県を動かし,現在の奄美群島振興開発計画のモデルとなる事業樹立に至ったそう。
奄美振興の父は伊東氏だったんですね。




続いて,金久(かねく)組・お花製作所を見学。
12金久 お花製作
みなさん,作業の真っ最中。
この花飾りは豊年祭中最も華やかな「テンテン踊り」の演目で,先頭を切る力士たちが掲げ入場する時に用います。



別の部屋でもお花作りをしていました。
14金久 お花製作



山椿の枝に一輪一輪,造花を結んでいくそうです!
15金久 お花製作
山椿の切りだしは男性が,花飾り作りは女性が担当。
山椿の枝に竹で作った格子を取り付け、そこに造花を結んでいきます。



シマのOGたちが傍でご指導されていました。
16金久 お花製作 先輩
集落の行事にかかわるひとつひとつの作業は,口伝がほとんど。
今も昔もこうして連綿と語り継がれてきたんですね。



「今年は復帰60周年ということで,特別に「60」も作ったのよ~」と見せていただきました。
17金久 お花製作
この花飾りで用いられるのは丈夫な「パーチメント紙」という紙。
豊年祭後,綺麗な造花は翌年の豊年祭でも使うそうです。




お花製作所の次は秋葉神社へ。
18秋葉神社
秋葉神社は集落の西側,アコウヤマの中腹斜面に立てられた神社。
ハイビスカス咲くスロープ状の沿道を登った先にありました。



秋葉神社では火の神様を祀っているそうです。
19秋葉神社
石塔が黄色っぽいですね。
これは鹿児島県本土の山川町で産出される,「山川石」で作られたもの。
山川石製の石塔は由緒ある家の墓石などに用いられていました。



この日の秋葉神社からの眺望は,本当に素晴らしかった!
20秋葉神社 海
写真中央に見えるのは,ハミャ島です。与路島も少し見えました!
暑い中,急こう配を息を切らして昇った甲斐がありましたね。




秋葉神社を降り,海岸近くのガジュマルで皆さん,小休憩。
23ガジュマルの木陰
ここはカネク地区のミャー跡。
西阿室集落では,集落内の各ポイントでガジュマルの木がお出迎えしてくれます。




港に集まった皆さん。なぜかというと・・・
25ウミガメ 来るかな?
時々、亀がやってくるそう!
この日は生憎、会えませんでした。残念!




確かこの辺りにイベ石があったはず。
資料を見ながら探していると・・・




「ここ、ここ!」
22イベ石 壽さん
もう一人のガイド,禱さんからイベ石の説明をしていただきました。



なんとイベ石は花壇の花の後ろに,鎮座していました。
21イベ石
見つけられないわけですね。




続いて,シューハマへ。
26シューハマ 十五夜 
サト地区にあった土俵は,大正初期にシューハマへ移動したそうです。
現在,豊年祭はシューハマで執り行われています。

ちょうど,この日は豊年祭・準備の真っ最中。
翌日に豊年祭を控え,青壮年団を中心に会場設営が行われていました。


これはシバヤと呼ばれています。
27シューハマ シバヤ
豊年祭を見物する方たちの見物小屋のようなもの。
主に椎の木を使っているそうです。

集落の方から,ジュースをいただきつつ(ありがとうございました!),
西阿室集落の豊年祭について,ガイドさんよりお話をしていただきました。
(豊年祭の様子は,過去記事をご覧ください。 → 「西阿室 十五夜豊年祭」



シューハマ近くの商店。
28商店
町の商店とは違う,この独特の雰囲気!
なんだか懐かしくなりますね。




西阿室集落には加計呂麻島唯一の教会があります。
29 教会
現在,信者は4家族6名なのだそうです。(平成25年9月現在)



教会内部はこんな様子。

中に足を一歩踏み入れると,静かな空気が流れていました。



国内に4体しかないマリア観音像を見せていただきました。
29‐2マリア観音像
教会では毎週土曜日に古仁屋から神父さんが来島し,ミサが行われているそうです。




教会を後にし,サト組のお花製作所・公民館へ向かうと,花飾りは完成していました。
1里 お花
カネク組とサト組で花飾りの様子が違いますね。
毎年デザインを変え,各組でその華やかさを競っているそうですよ。




集落散策を終え,島案内人講座の楽しみの一つ,ランチタイムです。
33ランチ風景
ランチは西阿室小学校・校庭でいただきました。
午前中,ずっと歩いていたので,みなさんお疲れモードです。



今回のお弁当は伊子茂集落の 「海宿5マイル」 さんのもの。
32ランチ

〈メニュー〉
新鮮地魚のフライ(特製タルタル)
自家製ジーマミ豆腐の揚げ出し
夜光貝のバター炒め
炊きたてご飯に酒粕味噌
パパイヤの漬物

シマの豊かな食材を生かした品々に,皆さん舌鼓を打っていましたよ。
特に驚いたのが,夜光貝のバター炒め!
あんなにやわらかい夜光貝は初めて食べました。



*****



午後からは鼎隊長による「シマの遺跡について」の座学でした。
34鼎 講義



35鼎 講義
「ここ試験に出すかも・・・しれませんよ~」と鼎隊長が言ったところを書き出す受講生の方。
皆さん,本当に熱心です。



鼎隊長が持参したものは,西阿室集落で以前拾った遺物です。
36鼎 講義 遺物
皆さん,考古資料は普段の生活では中々見ることができないと思っていませんか?
でも,実はとても身近にあるんです。
地面を掘らなくても,地面に落ちているんですよ!
実際にどんな遺物が拾えたのか,皆さん興味津々で手に取って見ていました。



さぁ,講義終了後は実際に遺物を拾ってみましょう!
37サト ミャー跡遺物探し
サト地区のミャー跡で遺物探しです。
皆さん,地面とにらめっこ。





「これは何?」「これはいつの時代の?」と質問が飛び交います。



今回、皆さんが拾った遺物の中に土器はありませんでした(鼎隊長残念!)

そのため,今回は鼎隊長に代わり,私が拾った遺物について説明をさせていただきました(緊張しました・・・)。

今回拾った遺物の中で一番古い遺物はカムィヤキの破片でした。
カムィヤキは徳之島で11世紀~14世紀にかけ,作られた無釉陶器です。
その他にも中国製の陶磁器や薩摩焼(鹿児島),壺屋焼(沖縄),肥前系陶磁器などがありました。

ほんの10分くらいの時間でしたが,皆さんたくさんの遺物を拾っていました。
遺物からその集落の歴史に触れるのも,楽しいものですよ。



*****



西阿室集落・秋葉神社からの眺望。

整然と並んだ家々とシマの細い道。
そして,シマの風景には欠かせない青く澄んだ海。

自然の素晴らしさだけでなく,
そこに住む人たちの日々の営みに触れると,
また少し,シマの魅力を再発見できるかもしれませんね。




来年はあなたも是非,島案内人講座へ参加してみませんか?



*****

〈参考文献〉
「まんでぃ」 瀬戸内町役場まちづくり観光課
「瀬戸内町誌 歴史編」
「奄美 加計呂麻島のノロ祭祀」 松原武実





瀬戸内町・西阿室集落

S.B.I 調査員  鼎さつき
2013.11.25



  


2013年11月29日

第8回 瀬戸内町子ども島口・伝統芸能大会

10月26日(土)
瀬戸内町では

奄美群島日本復帰60周年記念
第8回瀬戸内町子ども島口・伝統芸能大会 が開催されました。



1古仁屋中




会場は出番を待つ児童生徒や保護者,見学者でいっぱいでした。
2会場風景

第7回の様子 → 


この日は15の小中学校が自慢の島口・島唄・伝統芸能を披露しました。
(与路小中学校は台風の影響で会場に来ることができなかったそう。残念です。)

参加した学校は以下の学校です。
嘉鉄小学校,伊子茂小学校,西阿室小学校,秋徳小中学校,薩川中学校,俵中学校,
池地小中学校,阿木名中学校,久慈小中学校,古仁屋小学校,油井小中学校,薩川小学校,
諸鈍小中学校,篠川小中学校,古仁屋中学校


急きょ決まった取材だったので,嘉鉄小学校と伊子茂小学校の発表は見ることができず(申し訳ありません・・・)
今回は取材することができたエントリー№ 4~16までの発表をご紹介いたします。
(嘉鉄小学校と伊子茂小学校については,文章のみの紹介になります。)


*****


2.嘉鉄小学校 (17名)
  8月踊り「ちじょりゃ浜」「がてぃんぐわ」
 
嘉鉄小学校では運動会や学習発表会,集落行事などで8月踊りを踊っています。
集落の皆さんから8月踊りを教えていただき,唄と踊り,両方を一生懸命学んでいるそうです。





3.伊子茂小学校 (8名)
  島口劇 「追い込み漁」
 
奄美に伝わる伝統的な追い込み漁の様子を,児童が魚とダンバーに分かれ演じました(見たかったです・・・)。





4.西阿室小学校 (6名)
  伝統芸能 「立神太鼓」
3西阿室小学校
西阿室集落の海に浮かぶ立神。
そこに打ち寄せる波の様子を太鼓で表現しています。



4西阿室小学校
力強い太鼓の音を会場中に響かせましたね。





5 秋徳小中学校 (11名) 
  島口劇 「水は山おかげ 人は世間おかげ」
 
           
 
 
 
5秋徳小中学校
2年連続の浸水被害,そして今年の少雨・・・
秋徳集落で起こった天候被害を,ユーモアたっぷりに演じました。



6秋徳小中学校
変化する自然の中,暮らす私たちに何ができるのでしょうか。
考えさせられる内容でした。





6 薩川中学校(11名)
  伝統芸能(棒踊り) 「実久棒踊り」
7薩川中学校
「実久棒踊り」は旧暦9月9日に実久集落で行われる「実久三次郎祭」で奉納される,伝統芸能。



8薩川中学校
三尺と六尺の棒の二手に分かれ,踊ります。
勇壮な踊りはまるで演武を見ているようでした。





7 俵中学校 (8名)
  三味線・島唄 「涙そうそう」「イトー」
9俵中学校
総合的な学習の時間,地域の指導者のもと,練習に励んだみなさん。
始まりは緊張していたようですが、
曲が進むにつれ,笑顔が見える子も。



10俵中学校
緊張をモノともせず,皆さん頑張りましたね。





8 池地小中学校 (4名)
  島口劇 「てんしき」
11池地小中学校
落語「てんしき」を池地小中学校バージョンにアレンジ。
今回の島口指導は池地,請阿室の2つの集落から1名ずつ指導者を招いて行われたそうです。



12池地小中学校
「てんしき」は「屁」のことなのに,知ったかぶりをした和尚が小僧に「てんしき」を借りて来いといいます。
聞く人聞く人知らないのに知ったかぶり。
最後に和尚さんの知ったかぶりがお使者さんにもばれてしまいます。



13池地小中学校
演目選びから舞台小道具作りまで,4人で頑張ったそうです。





9 阿木名中学校 (9名)
  三味線 「稲すり節」
14阿木名中学校
総合文化発表会の演目「未来へ繋ぐ」から後半の1部分を披露してくれました。
終戦直後の本土生活者がシマを懐かしみ,島唄を唄うシーン。
なんとも言えない哀愁が漂っていました。



15阿木名中学校
劇に三味線・島唄と終わってホッとした表情。
お疲れ様でした。





10 久慈小中学校 (6名)
   八月踊り 「ドンドン節」 「にぎたい」 「でっしょう」 「しゅくてん」 「ほこらしゃ」
16久慈小中学校
会場よりチジンの音を響かせ入場。



17久慈小中学校
5曲もの八月踊りと唄を披露してくれました。





11 古仁屋小学校 (4名)
   相撲甚句 「甚句唄・踊り」
18古仁屋小学校
会場入場時には、子供たちが全国大会参加時に行われる「入場陣太鼓」を再現。




19古仁屋小学校
集落豊年祭には欠かせない「相撲甚句」。
古仁屋地区では青年団によって引き継がれています。
今回は古仁屋相撲クラブ(鎌田監督)の子供たちが,古仁屋地区の相撲甚句を披露してくれました。





12 油井小中学校 (17名)
   島唄・三味線 「いきゅんにゃかな」
20油井小中学校
油井小中学校では今年から島唄・三味線・太鼓の練習を始めたそうです。



21油井小中学校
中学生の三味線に合わせ,小学生が大合唱。
4月から練習を始めたとは思えない,完成度でした。





13 薩川小学校 (10名)
   伝統芸能 「バッケバッケ」
22薩川小学校
ヒギャジマンでも以前取材させていただいた 芝集落の「バッケバッケ」。
「バッケバッケ」は豊年祭の前夜祭として実施されています。
もともとはその年に取れた米や南瓜,冬瓜などを分けてもらい,
地区ごとの女性たちがその食材で料理し,豪華さを競っていたそうです。



23薩川小学校
いつからか,子供たちがお菓子をもらいに家々を回るようになったそう。
まるで,ハロウィンのようですね。



24薩川小学校
お菓子をもらって嬉しそう!





14 諸鈍小中学校 (14名)
   島口劇 「加計呂麻ツアーへようこそ」
25諸鈍小中学校
映画「男はつらいよ紅の花」のロケ地となった,諸鈍集落。
今回の劇では,生間港から始まる加計呂麻ツアーに,会場の皆さんも一緒になって参加させてもらいました。



26諸鈍小中学校
劇中で「寅さん」の一場面を再現するシーンでは,会場中が笑いの渦に。
迫真の演技に,大爆笑でした。



27諸鈍小中学校
この小さなウッチュ達の演技も,お兄さんお姉さん達に負けず劣らず可愛かったです。
皆さん,場馴れしているのは芸能のシマ,諸鈍だからなのかもしれませんね。





15 篠川小中学校 (13名)
   三味線・島唄 「豊年節」「一切朝花節」
28篠川小中学校
薩川小中学校では豊年祭や高齢者表敬訪問等に向け,三味線や島唄の練習を行っているそうです。



29篠川小中学校
子供たちの唄声と三味線の音がいつまでも響いてほしいですね。





16 古仁屋中学校 (2名)
   島唄・三味線 「くるだんど節」「よいすら節」
30古仁屋中学校
取りを飾ったのは「永井しずの三味線教室」の二人。
ヒギャ唄を支える若きホープです。
のびやかな唄声を会場中に響かせていました。


*****



講評は前瀬戸内町町長の義永秀親さん。
31講評

「皆さんの発表はどれも素晴らしかったけれど,シマグチがみんな似ているのはどうしたものか」

この発言にちょっと驚いてしまいました。
シマグチも少しずつ「シマグチの共通語」が生まれているということなのでしょうか?



「山の水がシマ毎にかわるように,言葉もかわる」
「各シマの方言やイントネーションでシマグチを使ってほしい」
「胸を張って自分のシマの言葉を,笑いにかえる余裕をもって,堂々と発してほしい」


そして、一番大事なのは

「両親やシマ(故郷)への感謝の気持ち」 
「感謝の気持ちを忘れず,シマの文化を大切に後世へ伝えていってほしい」 と,述べられていました。



普段、なかなか使わない島口。
子ども達にとっては,大会を通して島口や伝統芸能を意識し,表現する良い機会になったのではないでしょうか。

この大会を通して,私も瀬戸内町の持つ,言葉の豊かさ,芸能のすばらしさを再認識することができました。
みなさん,ありがとうございました!

シマの文化の担い手たちは,輝いていましたよ。

今年見逃した皆さん!
来年はぜひ観にいらしてくださいね。





瀬戸内町・古仁屋

S.B.I 調査員  鼎さつき
2013.11.10








  


Posted by S.B.I at 09:00Comments(0)奄美大島民俗シマグチ伝承

2013年11月27日

五右衛門風呂取り換え作業

皆様はこの写真が何かご存じですか?

1

実は、これは加計呂麻島の呑ノ浦(のみのうら)集落で現役で活躍している五右衛門風呂です。

まず、五右衛門風呂とは、俗説ではありますが、
石川五右衛門という人物が釜ゆでの刑に処せられた時に用いられたことに由来します。
用途は、釜を取り付け、かまどに据え付け、その下で薪をたいて沸かす据風呂のことです。

このお風呂に浸かった記憶のある方や、風呂を炊いた方もいらっしゃると思います。

昔の奄美大島は各集落で、この風呂が愛用され、家の離れには必ずと言っていいほどあったそうです。
しかし、ガス風呂が出てきてからは、もうほとんど使われなくなり、各集落でもその影が薄れてしまい、
その跡だけが畑などや倉庫として寂しく残るだけとなってしまいました。

そんな五右衛門風呂が現役で活躍している加計呂麻島の俵(ひょう)集落で、
今回その釜の取り換え作業が行われたので記録してきました。

まず、地元の方に五右衛門風呂の歴史を尋ねると、俵集落では共同風呂があったそうです。
2人入れるくらいのスペースをもったタルでできた風呂で、タルは直接火にかけてしまうと焼けてしまうので、
タルの下に鉄釜を下敷きに置くなどして工夫がされていたそうです。
一般の五右衛門風呂では、3~4本ぐらいの柱で釜を支えてその周りを赤土で固めて使っており、
また、戦時中では、釜の代用としてドラム缶が使われるなどしていたそうです。
 

作り方は、その家々で違うみたいですね。




これが、焚口です。
長年、使われたために周辺が真っ黒!!
この風呂は昭和40年頃(今から48年前)に作られ、東京で修業を積んだ左官屋さん率いる4~5人の方々が手懸けたそうです。
なるほど、48年も前に作られ、それからほぼ毎日使われたらこんなに真っ黒になるのも当然ですね。
2



燃やす木材は、枯れた燃えやすい小枝やそれを勢いよく持続させる太い木、さらに廃材や竹など。
聴けば、椎の木が一番燃えやすいだとか・・・




さて、これが今回新しく取り換えられる釜です。鋳物でできており、叩いてみるとカーンカーンと鳴り何とも良い響きです。
この釜は今では、予約しなければ手に入らないものとなりましたが、
昔は、専門のお店では購入できたそうです。
だいたい金額は5~6万!
なかなか良いお値段ですね~。







① 古い釜の取り外し

さあ、いよいよ作業開始!!
作業は、3人で実施。
まずは古い釜を取り外し。できる限り、この釜を傷つけないようにゆっくりゆっくり慎重に・・・
(古い釜は後で畑などに持っていって、溜め水としても使えるので)
きれいに1周杭を打ち込んで外そうと試みましたが、何とこの風呂釜は外れない。
聞くところによると、普通は、風呂釜の上部のほんの一部分しかコンクリートで留めるはずなのですが、
この風呂釜は、上部から中部にかけてまでコンクリートを流し込んでいる、大変手の込んだ五右衛門風呂でした。
さすがは東京で修業された方の五右衛門風呂です!お見事!
これにはさすがに作業する人たちも腰が抜けてしまいました。



結局、風呂釜は粉々にすることになり、
始まりから大がかりな作業となってしまいました。




風呂釜は取り外し後、このような状態に・・・
ついに48年間の歴史に幕を下ろすことになりました。
今まで熱い炎の中本当にありがとう。
溜め水として使えないのは非常に残念ですが、その後、畑に持っていかれました。(何に使われるのかは不明)




ところで取り外し後の中は・・・
深さが72cm
上部をコンクリート、中部から下部にかけては、レンガで固められていました。
レンガも48年間、火を受けていたため表面は真っ黒に。






② 新しい釜の取り付け

次は、新品釜の取り付けです。








ここまでは順調と思いきや、再び難所がやってきました。
今度は、新品の釜が入らないという事態に・・・






③ 外壁掘削


釜が入らないので周りをハンマーや杭を駆使して掘削開始!
上部のコンクリートは堅くて思うように削れませんでしたが、
中部から下部のレンガはもろいので簡単に崩れました。
それから、何回か釜を入れたり、周りを削る作業を繰り返し行い、釜が入れるように微調整していきました。
この作業は2日間に及びました。




中に入ると体中真っ黒に!!
長年の灰とコンクリートの粉末が舞っているため、防塵マスクは特に必需品です。





④ コンクリート詰め

掘削を繰り返していくうちに無事、新しい釜を入れることに成功しました。
そして、いよいよ最後を締めくくる作業は、コンクリート詰めです。
このコンクリート詰めは、風呂釜が不安定になったり、さらに隙間から焚いた際の煙が出るのを防ぐため、大変重要な作業です。
ある程度コンクリートを詰めたら、後は、焚きながら隙間がないように確認して詰めていくのがポイントです。

全て詰め終わると、コンクリートが固まるのを待つだけです。
 
 
 


こうして、3日間にわたった作業が無事終了しました。(はぁ~、だれつきた~)
コンクリートが固まるのには少し時間を要するため、
完成したらまた写真を載せたいと思います。


あまりの五右衛門風呂の細かい作りに苦心し、予定より長い時間をかけての作業となりました。
作業に携わった皆様、本当にお疲れ様でした。

こちらの家の方も、新しい五右衛門風呂に入るのが楽しみだとおっしゃておりました。

俵集落では、夕暮れ時になると煙が立ち昇る家が少なくなってきています。
今回、取材させていただいた家は数少ない五右衛門風呂を持つ家です。
高齢化に伴った現象でしょうか?
少しずつ失われていくシマの風景。
48年の歴史を刻んだ釜に代わり、新たに歴史の出発点にたった新しい五右衛門風呂。
これからも昔から続くシマの姿をどうか残していってほしいと思います。

そして、またいつの日か、各集落でこのような五右衛門風呂の温もりのある煙に包まれた風景を見ることができればと思います。



瀬戸内町・俵集落

S.B.I 調査員  K.K
2013.11.22







  


2013年11月20日

講座 「芭蕉の糸とコースターつくり」

平成25年度伝統文化親子体験教室事業

「芭蕉の糸とコースターつくり」  を開催いたします。


かつて奄美大島で作られていた芭蕉布。
八月踊り唄にも「芭蕉流れの唄」という唄があり、バシャギン(芭蕉糸で織られた着物)ができるまでの工程が唄われています。
芭蕉布はどのようにして作られていたのでしょうか?
親子で芭蕉から糸を取り,芭蕉布(コースター)を織ることで,奄美の伝統的な織りの技術を体験してみませんか?
第1回目は芭蕉から芭蕉糸を取る体験を行います。



第1回目 平成25年11月24日(日)

〈第2回目 平成25年12月 8日(日)〉


講 師 : 内山初美 (紬ひろば あまみ~る)


参加条件 : 「第1回,第2回 両日ともに参加できる親子(2人1組)」 ※(子供=小学生以上)

募集人数 : 15組親子(30人)

申込期間 : 11月19日(火) 9:00 ~ 11月21日(木)15:00まで

参加費 : 親子で1,000円

申込先 : 郷土館 72-3799 (カナエ)




第1回目 講座内容について

活動日 : 平成25年11月24日(日)

集合場所 : 瀬戸内町立図書館・郷土館2階

活動時間 : 9:30~17:00  (※受付9:00~9:30)

持参するもの : まき(10本くらい) ,お弁当,飲み物,タオル,帽子,着替え,虫よけスプレー
          ※薪はスタッフが用意していますが,ご協力いただける方はお願いします!
 
当日の服装 : 長そで,長ズボン,長くつ,ぼうし
         ※汚れてもいい服装・くつ






~第1回工程内容~

芭蕉の木より繊維をとり,糸に加工していきます。

活動場所:図書館集合→芭蕉を倒しに畑へ移動→図書館庭


(工程)
① 苧剥ぎ ( ウーハギ ) 芭蕉の木を切り倒して、皮を剥いでいく(車で移動)
② 苧炊き ( ウーダキ ) 剥いだ皮を灰汁で煮る(図書館庭)
③ 苧挽き ( ウービキ ) 皮から不純物を除き、繊維を取り出す
④ 苧績み ( ウーウミ ) 繊維を細く裂き、結びつないで1本の糸にする

※各自車で移動します。乗合にご協力できる方は、お願いいたします。

※作業中は、濡れたり、汚れたりしますので着替えなど各自で準備してください。

※作業途中で昼食となります。

※この日できた芭蕉糸はお持ち帰りできます。





S.B.I お知らせ
2013.11.20




  


Posted by S.B.I at 09:35Comments(0)奄美大島自然民俗伝承講座

2013年10月24日

油井の豊年祭準備 「左縄綯い」「紙垂作り」


油井集落のミャー、イビガナシを囲むガジュマルの裏手・広場。
そこでは「左縄」綯いが行われていました。


「左縄」綯い
左縄1
                       ↑↑  動画は、写真をクリック ↑↑
「左縄」綯いはこの御三方で進められていました。

「ワンは見習いっちょね~」といいつつ、縄用の稲藁を選別する左奥の方。
「あげ~、難しゃ~」といいながらも、縄綯いをする写真中央の方。
現在、「左縄」綯いのリーダーは写真右の方とのこと。

「左縄」綯いは、とても難しいようです。



左縄2
通常の縄綯いと違い、左によりをかけて綯われるのが「左縄」。
これは土俵の4本柱上部に縛りつける縄で、「カミサマ用の縄」とのことでした。



左縄3
約30分でこの長さ!
「左縄」は13ヒロ(約15m)綯うそうです。



左縄5
完成した「左縄」は土俵の柱に縛りつけます。



左縄4
「左縄につける、紙のヒラヒラの作ってるから見ておいで~」と、脚立の上からからにっこり教えていただきました。




「紙垂(シデ)」作り
紙垂1
            ↑↑  動画は、写真をクリック ↑↑

「紙垂」は注連縄(しめなわ)についている、ヒラヒラした紙のこと。
特殊な紙の裁ち方・折り方をするので、現在はこの方しか作ることがきでないそうです。

作られている方に作っている物の名前を聞くと「知らない」との答えが返ってきました。
当委員会ではブログ記事の説明上、一般的な呼び名「紙垂」を使用しました。ご了承ください。




紙垂2
「紙垂」は左縄の交差する1箇所のみにさげられます。




土俵作りも佳境に入ってきました。
土俵3
稲藁を土俵四隅の柱に巻きつけ、切りそろえていきます。



土俵4
東西の柱には「清めの塩」が置かれます。



土俵5
そして、土俵に砂が撒かれ、



土俵6
中央に砂山を作り軍配をさすと、土俵作りの完成です。



* * * * * * * * * *

ちから飯作りから始まった豊年祭準備は11時過ぎに終了。
終始、笑顔の絶えない準備風景でした。
取材しつつも、思わず準備を手伝ったりと、他者も「スッ」と入れてしまう油井集落の皆さんが持つ穏やかな雰囲気。

だいぶお邪魔してしまい、ご迷惑をおかけした部分もあったとは思いますが、
稲作から豊年祭・準備風景、そして豊年祭の取材を行わせていただき、
感謝の気持ちでいっぱいです。

油井集落のみなさん、本当にありがとうございました!



油井集落・公民館 楽屋にて。
紙面
油井の豊年踊りで使用される「紙面」

ほほえみをたたえたその表情は、油井集落の皆さんの笑顔そのもの。

「また、来年も油井にうもりんしょれよ~」





瀬戸内町・油井集落

S.B.I 調査員  鼎さつき
2013.10.20



  


2013年10月22日

油井の豊年祭・準備 「綱かき」

油井の豊年踊り の一番目の演目、「綱切り」。
その演目で使われる綱は、豊年祭当日に作られます。


『綱かき』
まずは稲藁を3か所に運びます。
綱かき1
この稲藁は「油井の稲作」で収穫されたもの。
脱穀後、公民館に保管されていました。



さぁ、公民館前の大木にロープを渡し、「綱かき」が始まりました!
綱かき2



「イチ・ニ・サン・シ」の掛け声と供に、綱がどんどん作られていきます。
綱かき3
縄は「なう」と言いますが、これは2束の藁で作る場合をさします。
一方、油井の豊年祭で使われる綱は、3束の稲藁で作られていますね。
3束以上の藁で綱を作る場合、綱を「かく」というそうです。



綱かき4
                        ↑↑  動画は、写真をクリック ↑↑


子供も祭準備の大切な担い手ですね。
綱かき5



綱の長さは23尋(ヒロ)(=約25m)
休憩をはさんで、約1時間半で完成しました!



出来上がった綱は公民館近くの空き地に置かれます。
綱かき6
置かれた綱の様子は、まるでとぐろを巻いた「蛇」のよう。



綱かき7
「この綱は蛇を表していて、頭は必ず東に向くように巻いていく」とのこと。

民俗学では、
蛇は稲作と深い関わりのある動物。
脱皮を繰り返す蛇は「死と再生」、「水の循環」を表すそうです。

「綱切り」の演目で、綱を3回切り、2回結ぶのは「再生」を表しているのでしょうか?

また、区長さんのお話しでは「稲穂は2回切るとまた穂を出し収穫できる」ということを表しているそうです。


* * * * * * * * * * * *


次は、豊年祭の「左縄、紙垂作り」に続きます。


< 参考文献 >
・ 「瀬戸内町誌 民俗編」 瀬戸内町



瀬戸内町・油井集落
S.B.I 調査員  鼎さつき
2013.10.20



  


2013年10月18日

油井の豊年祭・準備 「ちから飯」作り 

瀬戸内町文化遺産活用実行委員会では、 「油井集落・豊年祭」の取材を行わせていただきました。



実をいうと豊年祭当日は、準備段階からお邪魔させていただいていました。
油井集落・豊年祭の「準備風景」も豊年祭自体に負けず劣らず見ごたえあり!ですので、ここでちょっとご紹介。




豊年祭当日。
朝、8時前にはちから飯用の炊飯作業が始まっていました。
ちから飯2
油井集落のちから飯は、なんと釜炊き!!!
美味しいわけです。



ちから飯3
普段見ることのないダイバン・ミシゲ(大きなしゃもじ)!
これは大変な力仕事ですね。
薪のパチパチはぜる音と炊きたてご飯の良い香り。
なんだか懐かしい気持ちになります。



ちから飯4
ご飯はサンバラ(竹製ざる)に入れられ、まずは2皿分の握り飯が作られます。
この握り飯は、イビガナシ用とのこと。
「1番炊きのご飯のお初は神様用なのよ」と教えていただきました。



ちから飯5
みなさん、炊きたてご飯をものともせず和気あいあいと握っていきます。



ちから飯6
手仕事の美しさ。
まんまるい握り飯がどんどん出来上がっていきます。
ちから飯用の握り飯は「固め」に握るのだそうです。



ちから飯7
「あげ~、なんちがゆうかい。鍋底の焦げたご飯よ~。食べんね~」と、お焦げの握り飯をいただきました!



ちから飯8
次のご飯が炊けるまで、皆さんお焦げ握り飯で、小休憩。




ちから飯用のご飯が炊き終わると、次は赤飯が炊かれていました。

赤飯にはなんと油井の稲作で収穫したもち米が使われています。
みんなで苗植えから脱穀までしたもち米です。



赤飯
こちらもまん丸の握り飯となって、敬老者を中心に振る舞われました。




そして、公民館の中ではご馳走作りが終盤戦に入っていました。
シューキ1
出来上がった料理を一品ずつお皿に盛りつけていきます。
どれもおいしそう!



シューキ2
この品数と量に驚きます。
集落のご婦人方が作る料理が何よりのご馳走ですね。



敬老・菓子
敬老者へは茶菓子の振る舞いも。
お菓子の下にひく半紙の折り方も、集落によって違いがあるようです。




一方、公民館裏手の川沿いではサンダンカの花の準備が始まっていました。
ちから飯9
このように、1花ずつ洗い汚れを取り除いていきます。
ちから飯にさしやすいよう茎の部分を切りそろえていくんですね。



ちから飯10
子供たちもお手伝い。



ちから飯11
「かわいいでしょ~」と、にっこり笑顔のご婦人。
かわいすぎます!



ちから飯12
出来上がった握り飯は餅箱やサンバラに入れられ冷めるのを待ちます。
その後、一個ずつラップを巻き、サンダンカの花を握り飯にさしていきます。
「ちから飯」の完成です。




そして、初炊きのお米で作られた「ちから飯」は・・・
ちから飯14
ミャー(前庭、広場)に祀られているイビガナシにお酒や榊と共にお供えします。
イビガナシは集落の守り神。
集落の代表者・区長さんにより豊年祭の安全祈願が行われます。



そして、公民館山手側に祀られている「墓所」へも、「ちから飯」はお供えされます。

区長さんによると、このお墓は「イブシロシンオウ」という実在の人物の墓なのだそうです。

「イブシロシンオウ」は非常に仁徳があり、力持ち。
勝負事に強く、集落の人たちから慕われていたそうです。
現在でも豊年祭・当日には、ちから飯とお酒などを供え、必勝祈願・安全祈願をしています。
「イブシロシンオウ」は油井集落の必勝と安全の守り神、なんですね。




油井の「ちから飯」を彩るサンダンカの花。
ちから飯13
鮮やかな橙色が眼に飛び込んできますね。

油井の豊年踊りでは「ちから飯」の演目があります。
その演目では、力士たちが土俵中央に集まり、「ちから飯」を頭上高く掲げ踊ります。
区長さんのお話では、この踊りは油井集落の「団結」を表しているそうです。

小さい花が集まった「サンダンカ」の花は、油井集落の団結力の象徴なのかもしれないですね。


* * * * * * * * * * * *


炊飯が終わった釜は、お茶用のお湯を沸かすため豊年祭の間中使用されます。
お湯
「石を三つ入れて沸かすのが、昔からの習わし。なんでかいね~」、あるご婦人がにこやかに答えてくれました。
使用される石は「川石」でなければならないそうです。

「先人からの教えを大切にする心」
大切に後世に伝えていってほしいですね。


* * * * * * * * * * * *

水屋仕事はつつがなく終わりました。
次は、豊年祭の「綱かき」に続きます。



瀬戸内町・油井集落

S.B.I 調査員  鼎さつき
2013.10.15



  


2013年10月15日

油井集落「油井の豊年祭」

先月のことになりますが。

平成25年9月19日(木)
瀬戸内町 「油井集落」 では 豊年祭 が執り行われました。

油井集落は瀬戸内町・古仁屋から西へ車を走らせること20分程にある集落です。



油井の豊年祭は
「多少の雨風が吹いても旧暦8月15日に行われる」ことで、知られてきました。
ですが、昨年は豪雨災害の爪痕残る中での台風接近。
豊年祭を見に来ていただく方たちの安全を考慮し、豊年祭の開催を見送る運びとなりました。



ユイッチュ(油井集落出身者)が待ちに待った今年の豊年祭。
皆さんの願いが通じたのか、豊年祭当日の空には青空が広がっていました。




油井の豊年祭では「油井の豊年踊り」が奉納されます。
「油井の豊年踊り」は昭和58年(1983)に鹿児島県無形民俗文化財に指定され、
現在では加計呂麻島「諸鈍集落」の「諸鈍シバヤ」と並び、瀬戸内町を代表する民俗芸能となっています。

油井の豊年踊りは以下の通り、執り行われます。
(1)綱切り
(2)振り出し(力士の土俵入り)
(3)土俵祓い
(4)稲刈り
(5)稲すり
(6)米つき
(7)ちから飯
(8)観音翁の土俵見舞い(ヒゲフッシュ)
(9)玉露カナ(シシ)
(10)ガットドン


この他に、油井小中学校児童生徒によるエイサーや親子・兄弟相撲、初土俵入り、テンテン踊りなども披露されていました。






(1)綱切り

「ヨイヤサ、ヨイヤサ」の掛け声とともに綱引きが始まります。
綱は東西に渡され、集まった老若男女で綱引きが行われます。
綱引きといっても、力いっぱい綱を引き合うのではありません。
西へ東へ綱がゆったり、ひかれるだけ。なんとも穏やかな綱の引き合いなのです。
そこへ、晴れ着に身を包んだ集落の方たちを率いて紙面をかぶった者がやってきて、綱に足をかけ綱を切るマネをしたり、綱引きの応援をしたりします。





唄三味線の一群から、突然「シシ」が登場!
疾風の如くやってきて、綱を切って逃げていきます。





切られた綱はすぐに結ばれ、綱引きが再開されます。
綱は2回切られ、2回結ばれます。





「シシ」がまた走ってきますよ!





この「シシ」の姿をみて、思わず泣き出す子供の姿も。





そして3回目の綱が切られ、喜び踊る「シシ」の姿!
綱が切れた瞬間、場内からは歓声と拍手があがっていました。





最後に切られた綱は結ばず、シシを先頭に集落の方たちが歌う「ホコラシャ節」とともに土俵へ運ばれます。





この綱は土俵上の「小俵」として、丸く埋められます。








(2)振り出し

振り出しの前に、力士たちはお清めを行います。
さぁ!気合を入れて振り出しに臨みますよ。





法螺貝の音高らかに、力士たちの「ヨイヤ!」「ヨイヤ!」の掛け声が響きます。
奉納相撲の旗を先頭に、勇壮な土俵入りを見ることができました。













(3)土俵祓い

紙面をつけ鎌をもった者が「サーテンテンテンナ~ シトルクテンテン」の唄と三味線の軽快なリズムとともに土俵に上がります。





土俵では鎌を振り、踊り周りながら土俵上の厄を払い、また豊年祭が無事終了することを祈願します。








(4)稲刈り

野良着にクバ傘をかぶった男が、鎌と「オーコウ」と呼ばれる天秤棒を持って登場します。





この演目は農民が豊作の田んぼから稲を刈り取り、天秤棒で担いで帰るという、稲刈りの一連の動きとその収穫の喜びを表現したもの。





「ホーエラエー」と「アブシクエロ」の楽が、農民の動きを一層ユーモラスに見せてくれます。




稲刈り2
今年は2年分の収穫なので、きっと大豊作だったんでしょうね。








(5)稲摺り

この演目は、脱穀された籾を摺り臼でひき、玄米にしていく稲摺りの一連の動きを表現したもの。
稲摺りはスルシ(摺り臼)役の女性一人、スルシをひく女性2人、サンバラ(竹製のザル)を持った女性が2人の、女性ばかりの5人で踊ります。


「油井の豊年踊り」の特徴のひとつに、「女性が奉納芸能の演者となっている」ことが挙げられます。
たおやかで優雅な動きは、やはり女性ならではです。




摺り臼役の女性は赤い花模様の着物と青い帯という、鮮やかな装束姿。
着物の襷(たすき)がけから延びる赤く長い紐を交互に引くことで籾すりの様子を表現しています。
赤い帯が宙をはためく様は、なんとも幻想的。
まるで「稲霊」が宿っているかのようです。





サンバラに受けた玄米から籾殻を取り除いているのでしょうか。
美しい手の動きに、思わず見入ってしまいます。








(6)米搗き

シマのキュラニセ(美男子)達による、「米搗き」は「油井の豊年踊り」の見どころの一つ。





土俵に上がり、きりりと鉢巻を締めたキュラニセ達が肘を杵に見立て、米搗きの仕草をする演目です。






唄三味線のテンポがだんだん速くなるに従い、土俵に打ち込まれる杵の回数も増していきます。
その様子に見る者の眼と心は鷲掴みにされてしまいます。








(7)ちから飯

油井の豊年祭では「サンダンカ」の花が、「ちから飯」を彩ります。





「ホーエラエー、ヨイヤサノサ」の唄と太鼓の音も楽しげに、「ちから飯」の演目は始まります。





ご婦人方がサンバラに「ちから飯」を載せ、土俵を一周。
「ちから飯」は土俵に待機していた、力士の手へ渡されます。





力士たちは掛け声とともに土俵中央の紙垂(しで)に向けて「ちから飯」を頭上高く掲げます。






力士から「ちから飯」をいただけると、その一年無病息災になれるそうです。
ちびっこ力士の持つご利益にあやかれた幸運な方は誰だったのでしょうか。







(8)観音翁の土俵見舞い(ヒゲフッシュ)

この演目は、長い髭を付けた観音翁(ヒゲフッシュ)が弁当持ちを従え、豊年祭の様子を見物にやってきた様子を表したものです。
杖をつきつき、歩く観音翁とそれを労わる弁当持ち。
そこへ長鎌持ちが現れ、二人にいたずらを始めます。
最後は観音翁に懲らしめられる長鎌持ちですが、3人の掛け合いの妙が、何とも滑稽な無言劇です。








(9)玉露カナ(シシ)
玉露カナ1
はやし唄の調子に合わせ、手踊りをする女性と長鎌を振り、女性と共に踊る長鎌持ち。






玉露カナ2
そこへシシが現れます。
女性に襲い掛かろうと、様子をうかがい近づいたり離れたりする様子は、「本当に人間が演じているのかしら」と
疑ってしまうくらい、人間離れしています。

そして、女性に襲い掛かろうとした瞬間、長鎌持ちの長鎌によって、シシは見事仕留められ、力士たちによって何処へか運ばれてしまいます。








(10)ガットドン
ガットドン1
座頭が川を渡る様子をユーモアたっぷりに演じています。
杖で川の深さを図ったり、途中で休憩しているのでしょうか?腰に下げたお酒を飲んだりします。




そして、敬老席に向かった座頭は、あろうことか粗相をしてしまいます・・・
ガットドン2
おしりを拭く様子のなんと滑稽なこと!




ガットドン3
思わず覗き込んで見ちゃいますよね。








 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


油井の豊年踊りの合間には、以下の余興も披露されていました。



油井小中学校、女子によるエイサー

近年、奄美の学校行事や集落豊年祭余興ではエイサーの出番が少なくありません。





エイサーの軽快な音楽とパーランク(手持ち太鼓)を打ちながらの動きのある踊りは、やっぱりかっこいいですね。








初土俵

今年は2年分の初土俵。
知らないおじちゃんに抱っこされ、土俵に上がって不安のあまり泣き出す子も。
その泣き声が大きい子ほど、場内からは暖かい笑い声が湧き起っていました。
お花をいただいて、すぐに泣き止む子もいたり(笑)
みんな健やかに成長していってほしいですね。







テンテン踊り
テンテン踊り1
青壮年団、婦人会の有志による、テンテン踊り。



テンテン踊り2
みなさん本当に楽しそうに踊っています。みなさんの笑顔に、見ている方も楽しくなってしまいます。








相撲
油井の豊年祭では、相撲の取り組みの多さに驚きます。

「土俵祓い」の後に、まず「前相撲」が行われます。
前相撲は一組のみの取り組み。
子供力士が土俵に上り、最初に勝負に勝った方は、次の取り組みでは負けるという形式となっています。




その他にも小中学生による相撲や、兄弟相撲、青壮年団による職域相撲などなど。




兄弟相撲



相撲



敬老席
油井の豊年祭は「相撲を堪能できる豊年祭」とも言えるかもしれません。



親子相撲



結相撲、後
そして、豊年祭の最後には「結相撲」が執り行われます。
この取り組みも「前相撲」と同じく一組のみ。
結相撲が終わると、豊年祭も「八月踊り」を残すのみとなります。








八月踊り
八月踊2
唄とチジンの音が、八月踊唄の調子にかわります。



八月踊1
ススキの葉を一束さした焼酎瓶を担ぎ、力士たちは土俵へ。



八月踊3
会場にいる人全員参加の八月踊りが始まります。
八月踊りを教え、教えられつつ、ユイッチュも見物客も一緒になって八月踊りの輪の中へ。



八月踊4
ミヤーに鎮座するイビガナシたちも楽しげに見える、祭の終わり。





瀬戸内町文化遺産活用実行委員会では
油井の稲作から豊年祭に至る長期間に渡って取材をさせていただきました。

取材を通して実感したことは油井集落の方々が「人と人とのつながり」をとても大事にされている、ということでした。

集落行事を大切に後世に伝えていこうという心意気。
大変なことも多くあると思います。
でも、その大変さを微塵も感じさせない、ユイッチュの楽しげな笑顔。
その笑顔に魅了され、訪れる人たちは「来年も油井の豊年祭を観に行きたい!」と思うのかもしれません。

本委員会の取材に協力していただいた、油井集落のみなさん。
本当にありがとうございました。



< 参考文献 >
・ 「瀬戸内町誌 民俗編」 瀬戸内町
・ 「瀬戸内町の文化財をたずねて」瀬戸内町
・ 「平成9年度 文化財会報」 瀬戸内町文化財保護審議会 




瀬戸内町・油井集落

S.B.I 調査員  鼎さつき
2013.10.14